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武蔵大学 2019年度 後期 メディア社会学方法論ゼミ【松谷創一郎】

演劇と食を融合する劇メシ -新感覚のエンターテインメントと空間の面白さ

 「劇メシ」とは、食事をしながら演劇が観られる企画のこと。レストランを使い、360度で展開される演劇空間が魅力。取っつきやすさと単純明快な面白さ。観劇慣れのいらない環境、そして「劇メシ」が生み出す、新たなエンターテインメント性について分析する。

 演劇。それを観た経験のある人はどれほどいるだろうか。「劇団四季」「東宝」など、名前は周知されているにもかかわらず、観に行く人は少ないのが現状だ。シェイクスピアゲーテなど、格式が高いと認識されてしまっているからだろうか。いや、単純に劇場そのものへ足を踏み入れること、それ自体がハードルであるとも考えられる。いつやっているのか分からないから行かない、そんな声も存在する。どちらにせよコアなコミュニティ内での活動に留まっているようだ。

 そんな状況を打開しようとする企画がある。「レストラン空間そのままに、360度で展開される演劇を、食事をしながら楽しむ、新感覚の観劇体験」をモットーにしている「劇メシ」だ。

【キャラとの近さ、壁のない演劇】

 「劇メシ」は、演劇を身近に感じてもらうことを目標にしている。ここでは名前の通り、食事をしながら劇を楽しめる。劇場ではなくレストランで劇が進行し、空間全体が物語の世界となる。

 劇場のない地方でも開催が可能である強みを使い、”劇場のない街にエンターテイメントを”を掲げ、東京や千葉など関東地方から滋賀、名古屋、福岡と幅広い地域にて上演を行っている。

 2016年7月に東銀座でスタートを切った「劇メシ」は、3年間でオリジナル作品を7作、各地域合わせて120公演以上行ってきた。

 元々は、演劇をやりたくても「お金がない」、「場所がない」役者に場を与えるために行ったのがはじまりだ。ただ場所を提供するといっても、小劇場で行う場合には問題が存在した。チケットの取りにくさや、情報流通の少なさにより、何を観るべきか図れない。それにより、一般人が観に行かない構図が拭えないことだ。

「普段観ない人たちが、生の良さを知ることがないのは非常にもったいない」とプロデューサーの佐川秀人は考えた。劇場で上演する課題をクリアしながらも、演じる場所を作ることはできないか。佐川は悩んでいた。

 そんなとき、会議の場所であったカフェの隣の席から会話が聞こえてきた。

「盗み聞きをしている状況って面白い」

 そこから彼は、レストランで公演を行う演劇の形を見出した。劇を観に来た、ではなく、ご飯を食べにきたところに劇が始まる。隣の席をのぞき見する感覚で演劇を観せる形が完成した。

 客は集合時間(開場時間)になると、全席自由席で各々好きな場所に着席する。ワンプレート・ワンドリンクが振舞われ、食事を楽しんでいればいよいよ劇の開演だ。内容はもちろん脚本によって異なるが、基本的に単純明快で楽しいと感じさせる演目を上演している。

「小難しいことはいらない。楽しかったと思って帰ってもらえるのがいい。そして、やっぱり生のお芝居って素敵なものなんだなと思ってくれることが一番の狙い」と佐川は語る。観ると容易に理解できる。佐川のエンターテイメント心が伝わってくる作品ばかりだ。

 さらに2019年には、同タイトル、同シチュエーションで脚本を変えた4か月連続のトライアル公演『キツネたちが円舞る夜』が上演された。この作品は全ての公演で「政治家の娘が誘拐された。身代金受け渡しの場所に指定されたのはとあるレストラン」と書き出しは同じだ。

 しかし内容は全くの別物である。犯人側の視点で描かれたものや、観えているはずの私たちも気づかないうちに、身代金のカバンがすり替えられているミステリーなど、同じシチュエーションでありながら多方面の面白さが創り出されている。観客は『キツネたちが円舞る夜』のパロディやアンソロジーを見ているような面白さを感じるのだ。

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 2019年6月22日~30日、特別公演特別企画公演6月『キツネたちが円舞る夜』公式フライヤー。

 レストランで行う演劇が新感覚エンターテイメントとしてよく語られるが、この挑戦的な公演の形もまた新しさだと言えるだろう。

 また「劇メシ」では、単純に演者との近さも魅力の一つだといえるだろう。

 元来から演劇は、客席と舞台で、観る/観られるの形式がどうしても存在する。この「客とキャストとの壁」は演劇界で、いかにして無くすか長くに渡って課題になっている。「劇メシ」はその問題に対して、真っ向に立ち向かっている。

 「劇メシ」には、客とキャストとの壁が限りなく存在していない。役者が、開演前にまさに私たちが歩いていた机と机の間や、隣の席に現れるからだ。そのとき、役者は舞台の上の遠い人ではなく、レストラン空間でともに流れを共有する客の一部となる。

 よく色々な劇団で行われるアフタートークや、ハイタッチ会などの近さとは根本的に違う。この近さは、役者が私たちに近づいてくれるのではなく、役の生きる世界に私たちが、レストラン空間を介して入り込むのと同義といえる。私たちがひたすらに受動的にいても、劇に囚われてしまう。そういった力強さが存在している。

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客席のテーブルにもたれかかるキャスト(2019年11月15日、神奈川県川崎市のTHE CAMP CAFE &GRILL。撮影: 仲川桜子)。

 巻き込みの力は、場によるものだけではない。キャストがこちら側に干渉してくる。それも裏芝居で、本筋としてないときにも。

 劇場において、台本の流れで客に絡むことはあっても、それはスペシャルな出来事として行われる。しかし「劇メシ」は、同じ空間を共にしているレストラン客の一人として話しかけてくる。それにより、自分と役者は対等と気づく。

 「お客さんはただの客じゃなくて、いるものとしている」と佐川は語る。私たちが巻き込まれるわけだ。

【劇メシが作る世界観に入り込む】

 劇には、私たちの理解力、ないしは理解しようとする関心が少なからず必要とされる。勿論、役者達はプロであるから、全てを表現として魅せてくれている。しかし、その世界に身を投じ、魅せてくれている世界にいかに入り込むかは、私たち次第の部分がある。

 多くの人に楽しまれている「劇団四季」などは、比較的理解がしやすく、観やすい。しかしチケットの取れなさ、舞台と客席の距離の遠さ(席によって異なるが)はどうしても発生してしまう課題だ。物理的距離が遠い、つまり自分でいかに入り込むか否かが、観た後の満足感を大きく変える。

 では、勝手に空気感を感じられる近さを求めて、小劇場に行くのか。そうなると、通でない人にとってはさらに、チケットの入手法がわからない。それだけでなく、小劇場では「このチケットを取ってくれているぐらいだから」との考えがあるからなのか、表現が難解であることが多い。

 今は課題点だけを挙げたが、勿論双方に良さはあり、魅力も存在する。しかし、どちらにしても、能動的に観る意思が必要であることには変わりない。

 対して「劇メシ」は、自分の意思で、レストランまで足を運ばなければならないことに変わりはないが、観始めれば巻き込みの力により、劇に慣れていなくても楽しめる魅力が沢山ある。普段から劇を楽しんでいる人も、もちろん例外ではない。様々な工夫や、そこに存在している空間によって、どんな人でも楽しめる。

 まず、先ほども取り上げた、役者との近さがある。近さがどんな効果を創り出しているのかは前述した。しかし、それだけではない。レストラン空間でやる、つまり舞台袖(役者がハケる場所 私達から役者は見えなくなる)が存在しないことが魅力でもあるのだ。役者が常に目に見えるところに存在している。つまり、本筋の芝居でないときの演技も全て観ることができる。

 役者がその場からいなくならないことは、時間共有において大きな意義を持つ。役者は特殊なバックグラウンドを持った同じ客の1人として錯覚を起こさせる。ここに、受け手側である私たちの高度な理解力は必要とされない。観やすさと親しみやすさは、ここから来ている。

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画面右、驚きの表情を浮かべる男性も役者(2019年11月15日、神奈川県川崎市のTHE CAMP CAFE &GRILL。撮影:仲川桜子)。

 またこれらの芝居は、もちろん役者が立っている場所で起きるため、自分が座る場所によって見えるものや人が変わってくる。これも魅力だ。

「リピーターとして来てくださる方が多く居る」と佐川は言う。この「座る場所によって景色が大きくかわる」という魅力が、私達、いや「劇メシ」の魅力に囚われてしまった私達が、ついリピートをする要因だ。佐川は「結果としてハケる場所がなかった」と語るが、それをも魅力に変えてしまう演出がそこにはある。

 2つ目に、レストランでやること自体が魅力だと考えられる。

 これまでも示したように、近さはもちろんだが、レストランを使った空間では、あくまでもそこが食事の場所であることが魅力だ。

 まずここには、足を踏み入れること自体にハードルが存在する劇場へ行く行為が必要とされない。

 そしてなんと言っても、演劇を観た後、食事を続けながら語り合える空間がそこにはある。終演後にはキャストも席を回り、キャストに感想を伝えたり、話を聞いたりできる。食卓を囲みながら、話題の一つとして、演劇の話ができるのだ。これは演劇本来の魅力の一つでもある「一体感」をこの空間と時間で提供していると言えるだろう。

 また、ここでは高度な考察や評価は語られない。ただ、同じ舞台で同じ空間を過ごした客同士の感想の言い合いに過ぎないのだ。

「劇メシの脚本は、過去や現在を行き来することがなく、時間が飛ばない。全てこのレストラン上で起きることなのだ。同じ時間を共有する。これが良いのだ。そして、劇メシが『今日は時間があるから、外食をしよう』、『今日はショッピングに行こう』と同じように、『今日は劇メシに行こう』となれば嬉しい」と佐川は語った。

 筆者が体験した感覚では、演劇による同じ時間の共有も、食事を楽しむ空間もそこには存在していると感じた。

【単純明快に演劇の面白さを伝える】

「何よりの魅力は、上映時間が短いこと」

 最後に佐川は教えてくれた。「劇メシ」は、高度な理解力や、能動的に観ること、想像ができない劇場に足を運ぶ勇気、約2時間黙ってただ観続けるハードルがないことを示してきた。

 「劇メシ」の上演時間は約60分と、佐川が語るように短い。19時からレストラン閉店の22時まで(ある公演の例)と、3時間ほど滞在することが可能であるが、上演時間はそのうちの約60分間のみだ。つまり、ほとんどの時間が食事と語りの空間として存在している。この上演の短さこそが魅力だ。

 まさにそうなのかもしれない。共有の感覚を無理やり長く保たせる必要もなければ、物語も入ってきやすい。観終わったときに「あー楽しかった」という単純明快な面白さを、演劇を観に行く身構えをなくしつつ、しかし、生で人が創り上げる物語がいかに素晴らしいかを、しっかりと感じさせてくれるのだ。

 これはあくまで私の感覚だが、「劇メシ」を観ていると、自分がずっと自分として観ていられるように感じる。ステージと観客席の間に明確に壁がある舞台を見ると、自分の魂は舞台の上へ囚われ、人として客席に座っている自分は、世界を眺める傍観者であり、その物語にただ心を動かされる存在であると錯覚する。

 しかし、「劇メシ」では自分が常にはっきりしている。自分が日常の自分でいる状態であるにも関わらず、その物語に入り込むことができる。そういった点で、普段舞台を多数観ている人も、楽しめる新感覚エンターテインメントだ。

 そして、なによりも生の良さをまだ知らず、劇を観る習慣がない人に向けてこそ、「劇メシ」は真価を発揮する。生の良さ、客席と役者の関係、そして物語そのものを通して感じる一体感を伝えつつも、演劇特有の難しさを取り払っている。

 さらに、「劇メシ」は演劇の敷居の高さなくすだけでなく、独自の魅力も沢山備えている。演劇を観慣れたら人から、そうでない人まで、どんな人でも楽しめる最高のエンターテインメントがそこにはある。

 この魅力が詰まった「劇メシ」が、ゆくゆくは佐川が語るように「どこに行こうか、そうだ劇メシに行こう」となってくれることを私も願っている。

劇メシ http://lavo3.com

 

取材・文/仲川桜子